昭和45年12月20日 朝の御理解



 御理解 第99節
 「無学で人が助けられぬということはない。学問はあっても真がなければ、人は助かぬ。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしておる者がある。此方は無学でも、みなおかげを受けておる。」

 これはこの御教えの中から誰でも助かる事が出来る、誰でも人を助ける事が出来る、という事を教えておられるように思うですね。誰でも助かる事が出来る同時に誰でも助ける事までが出来るということ。学問がないから助かる学問があるから助からんという事はない。どちらがどうという事はない。学問があっても無かっても器量がようても悪うても助かる事が出来るんだ、又助ける事が出来るんだという事なんです。
 ところが学問があると学問の方に、少しばかりいた人間の知識で、ものを判断したりして、助かり難うなるといったような場合もある事を、ここには教えておられるとも思うし、同時に、それは学問があってもという事は、財産があってもという事でもある。財産がありますと、その財産に腰掛けて、難儀を持ちながらでも、持っておる財産で、何とかなれると言うように思うておるのですから、かえって、お金を持たないというか、貧乏しておる人の方が、助かり良い様な感じですね。
 学問があるよりも学問がない方が、かえって神様の教えでも純粋な、純な心で頂く事が出来るから助かり良い。まあそうなんですけれども、実際はここではね、そんなら学問があってもなかっても、財産があってもなかっても、助かる事が出来るんだ。又助ける事までも出来るんだという事を、私は教えておられるんだと思う。そこでどういう事になるかと言うと、まず私が助からなければならない。
 まず銘々が助からなければならない。私は、どう言う様な人の姿がどう言う様な事が、助かっておる事かと一辺思うてみなければいけないと思う。私共が休ませて頂きますね。一日の疲れをお風呂にでも入らせて頂いて、休ませて頂きますと、もう前後不覚に休みますね。私は助かっておる時はこういう時だと思うね。もう暑いもなからなければ寒いもない。只ひたすら夢路を辿っておるだけ。
 私は人間が助かっておるという時は、そういう時だと思う。そこで信心は勿論そこも有難い。けれどもね私は信心によって助かっておるというのはね、目が覚めた時はぁおかげを頂いておったな、今日もお生かしのおかげを頂いておった。さあこれからと例えば一日の御用の上に、心の上に弾みがつくほどの心。私はそういうおかげを受けている人は、助かっておると思うね。
 夜の安楽な助かりから、又昼の働きの上に喜びを持つ、楽しみを持つ、感謝を持てれる。そういう生き方の出来ている人を、私はは助かっておる人だと思う。どうでしょうか目が覚めた。又今日も心配をせんならん。又あんなきつい仕事をしなければならん、あぁあと言った様な溜息の出るようなね、人は先ず貴方自身が助かってないんだと、私は思わなければならんと思うですね。
 そこで私共は晩休ませて頂いて、成程昨夜なんかは、私はもう本当に疲れておった。ですから床の上で休ませて頂くときにはです。明日もまた目覚ましのおかげを頂かせてもらわなければならなん。ま、目覚ましのおかげを頂かせてもらうなら、清々しゅ、有難う、目覚ましのおかげを頂かせてもらわなければならん。も、今から休んで、二時間あまりしか休まれない、と言う時間でした。昨、私、休みましたのは。
 ですからその二時間の間にです。どう、熟睡のおかげを頂かせて貰うて、一日の疲れを取らせて頂ける程しのおかげを願わせて貰う、休ませて貰う。今朝はいつも三時二十分位に、リンが鳴るんですけれども、鳴る前に目覚ましのおかげを頂いておった。しかも頭もスッキリしておるし、清々しい本当に有難い。だから私は夕べから今朝にかけては、助かっておったという事が言えますね。
 私は助かっておる、いわば心と言うか姿というのはね、そういう事だと思う。そこで私共が分からせて頂かねばならない事。成る程眠っておる間が極楽だとこう言う。だから眠っておる間が極楽だと言う様な心の状態を頂くという事なんだ、信心とは。それが教祖の言葉を借りると、我情我欲を離れての生き方そういう生き方、そういう生き方を身につけるという事。我情我欲。いわゆる我情とは自分の思いである。
 ああしたいこうしたいという思い。我欲というのはそのまま、頂いた上にも頂きたい。食べたい上に食べる。食べたい。いわゆる詰めが長いとそういう私は、我情我欲の生活から我情を取り、我欲を取るという生活。それを神様任せの生活とも言うわけである。明日起きたならば、久留米に行こうと例えば思うておる。それはやはり色々計画しますからね。明日は何を計画しても良いのですよ。けれどもですね、もっとそれよりも大事な用件が、そこに出来たとする。困ったこっちゃある。
 今日は久留米に行こうと思いよったばってん、行かれんじゃった。そこに助かっていない人の、所謂我情の人の姿があるのです。そういう時に久留米に行こうと思うておる思いをスカット捨てれるという事。我情自分の思いはぁ神様のご都合に違いないと頂ける心だと思う。そして神様の指し示して下さる、ほんなら反対の方に、吉井の方へ行き日田行きという事が、もし出来たらそれを神乍として頂かせて頂く。
 あぁ今日は、久留米に行こうと思いよったばってん、日田の方にどん行かんならんといったような考えではない。我情を捨てるという事は、そのように素晴らしい事なんだ。我情我欲を離れて真の大道を開け。我情我欲を離れなければ、真の道は見えてこないのである。その真の道を、私共は本当の道であり、人間の本当の生き方。本当の生き方がそこにある。教祖様はそういう本当の生き方をなさった。
 四神様がそして私共の先輩先達である所のお徳を受けられた先生方は、皆んなそういう生き方をなさった。例えば福岡の吉木先生は、馬鹿と阿呆で道を開けと。もう我情我欲を捨てられた姿なのである。さぁどんな苦しい事でもある、どんなに辛い事でもある。けれどもなぁ石橋さん辛抱さえしときゃ、物事整わぬ事はありませんぞと、四神様が教えられた。その御一言がです。
 久留米の初代の信心の中心をなしておると言われております。またなしておったと、私共も思います。只辛抱と言う事ほんなら、石橋先生が仰っておった、辛抱と言うのは歯を食いしばって辛抱しておけというものではない。天地神明に不足を言わずと、いわば石橋先生の有名な言葉がありますよね。どういう事があっても、天地神明に不足を言わず、時節を待たれた。只じっとして待っとるのでなく。
 神様に縋っていわば、時節を待たれた。腕こまねいておって、只ちゃんと待っておられたと言うのではないという様に、もう既に我情我欲を取られての生活があった訳であります。そこからどういう事になって来たか。人が助かる事が出来てきた。信心辛抱さえをしておればと仰る。信心辛抱ということはそう言う事。歯を食いしばって辛抱するというのは、普通の者のいう辛抱。神様にすがっての辛抱。
 御神意を対しての辛抱。天地神明に不足を言わずという不足を思わず、言わずながらの生き方。そういう生き方を身につけられた。そこにね石橋先生の助かりがあった。本当に豊かなお方であった。大空のようなお方であった。弟子達がどのような失敗をしても、決して咎められなかった。もう本当に久留米の初代は、大空の様な心の広いお方であったと言われております。
 私はそういう時に思うですね。どうしてこういう例えば、自分の弟子が不調法をしたんだもんね。それをそのまま、神様にむけられた時です、弟子が、この様に不調法をしましただけではなくて、私の不行き届きが、この様な結果を生みました、結果になったとして、神様に平身低頭、お詫びをしておられたのではなかろうかと思う。だから口上どもいう暇なんか、お有りにならなかったんじゃないでしょうか。私は助かっておる姿というものは、そういうことだと思う。
 例えば子供が言うことを聞かない。子供が言うことを聞かないという所にはですね、もう、その人の助かりはないのですよ。なぜって、子供に背かれているのですから。ところがね、そのこと自体を、神様の姿と見る。その事自体を、神の声と聞く。そこにです、子供が言うことを聞かんのは、子供のせいじゃない、親のせいである、私のせいであるとして、神様に私はお詫びをする生き方。
 そこに助かった人の姿があるでしょうが。同じ事なのです。子供が言うことを聞かん子供が背く。背かれておると言うことは助かっていないという事。けどもその事を有難い事として頂けると言うこと、助かった人の姿だと思う。ところがね実際こうやってお話をさせて頂いておりますと、それどころじゃないと思うんですけども。まあ銘々が現実の問題に直面した時、そう生易しいものではない。で
 すからそういう時にです。私共は一つ死んだ気になって、神様におすがりする事だと思う。やっぱり、苦しいんです。だからそういう時に一生懸命になる。死んだ気でという事は、一生懸命になるという事です。その苦しい事はしばらく棚に上げておいてです、信心修行の方を本気で一生懸命する。ぼんやりしてから腕こまねいて、只苦しみを受けて行くという様な事で、良かろうはずがない。
 いわゆる苦しい事があるんだと、苦しい事に直面するんだと。だから苦しいならです一つ本気で今まで出来なかった修行でも、一つさせて頂こうという事になる。不思議なんですよ。そういう気が出て参りますとね。その苦しみが、もう軽いものになってくる。いわばいや心地良うなってくる。修行が例えば日頃させて頂こうと思う修行が出来ないけれども、苦しい。そこに苦しい時には一生懸命になれる。
 一生懸命の修行が出きる。修行が出来る事によってです。自分の苦しみが段々薄うなってくる。今まで心配であった心配は、段々薄うなってくる。そしてままよという心が生まれてくる。それはもうどうでも良い、死んでもままよという心になってくる。そういう心の状態になった時です。私共が安楽な気分で休ませて頂いておるような、心の状態と同じことになる。そういう心の状態になることがです、おかげを受ける事になるのですよ。私が、福岡で、お商売させて頂いておる時。
 当時のお金で一万円。どうしても一万円の金がなからなければ、善導寺の方へ帰られない。お月次祭と言うのにもう帰られない。仕方がないもう当たる所だけ当たってしもうた。金策のいわばつけようがない。それでも帰らなければならんと言うて、今日という今日は、もう素五体では帰られないという、切羽詰った事である。仕様なかもんさぁそれで長浜町に居りましたので、長浜町から荒戸まで、何回参りました事か。
 参っちゃ帰り参っちゃ帰り、帰ってから家の御神前でご祈念をする。それからまた御参りをする。一生懸命何遍目かのお参りをして、電車通りと教会の一つ手前から入る、十字路の所まで来た時にです。あすこまで来た時に、向うから自転車で一人やってくる。それがなんと私が何十年振りに会う、いわゆる竹馬の友である。椛目の私共の、すぐ隣の隣の自転車屋さんがありますがそこの弟息子である。
 その人も非常に商売が好きで私も商売が好きで。その人は久留米の金原さんに番頭に行った。私は久留米のハンコ屋と言う酒屋さんに小僧に行った。お互いが魚屋と酒屋でねいっちょ本当いっちょうんと儲け出そうじゃないか、儲け出しぐっちょしようじゃないかと言うてもう所謂親友であります。子供の時から仲の良かった友達です。それが丁度北京に行って帰って、何十年振りに福岡の荒戸の教会のこっち出る所で会った。
 それがもう何遍目かのお参りの、ほんなそこで出会った。お互いに嬉しかった。まあとにかく大坪君寄りなさい。私は直ぐそこの唐人町におるからちょっと寄りなさい。それがあんた今日は椛目の方に、どうでもこうでも何時までには帰らんならん用件があって出て来とる。帰らんならんけれどもそれが、あんたお金を一万円持って帰らんならんばってん、そのお金の金策が付かずに困っとるたい、ち。そんならなお更ちょいと寄らんのと、こう言う訳なんです。
 寄せて貰いました。それで自転車の後の方に弁当箱のごたっとがつけてあった。それでこうして、大坪君これが丁度一万円、今日は集金に行った所が、普通寄らん所で一万円集金が出来たと。丁度昔の一万円は弁当箱位にあったんですよね百円札じゃから。とにかくほんなら、ゆっくりお茶でも上げたいけども、そげん急ぎよるなら、とにかく早う帰って、又いっちょゆっくりやろうと。とにかく早う帰らんの。これを持って行かんのと言うて、そのお金を貸して貰うた。
 そういう例はもう本当に過去の私の信心には、沢山あります。如何にその一生懸命という事かね、一生懸命に御祈念をしているとか、修行をしておると言う時にはね。もうそのままよと言うかね、それを忘れている程しのおかげであります。ほんな十字路で例えば一分先にそこを彼が通ったという事であったら、もう全然会えなかった。そこをぴしゃっと十字路で会うように出来ている、お繰り合わせを頂く。
 だから私はここで皆さんが善導寺に、本人もちゃんと居る。もう十何年前の話です。お父さんが瀕死の重態である。どうでもまぁ一遍助かって貰いたいと願いに来た。それで丁度椛目でそん時に、井戸ざらえがありよった。森光つぁん今日は御用を頂いて行きなさいと。井戸ざらえがありよるけんで。あんた帰ったっちゃあんたどうするの。親のもう医者は難しかち、どうせ言いよるとじゃけん、あんたがここに参って来とるとは若っとるとじゃから、とにかく一生懸命一つ井戸ざらえの御用でもさせて頂きなさい。
 それは私が森光つぁんが、まあどうしたひどい事を言う先生じゃろうかと思うたばってんが、おかげを頂いたち言うておりますね。一生懸命御用頂いておるとその事がね、幾らか楽になってくる。それこそ帰らして頂いたら医者がたまがるような、奇跡的なおかげになって、それからまた何年か生きられました。これはだから金銭だけの事じゃない、すべての事に通ずる。
 どういう難儀な難儀を感ずれば感ずる時ほど、神様に打ち向かう心が強うなる、又強うならなければ駄目。そこにです言うならば糞度胸でもないけれどもです、一つの度胸が出来る。ままよと言うドン腹が出来るままよと言うその心が、おかげを受ける受物になるのです。だから助かるという事は助かっておると言うことは、前後不覚に例えば眠っておる時。これはもうけれどもやっぱ、悪人なんかになりますとね、寝とってもね、夢の中でも、さいなまれるという事ですね。
 ですから寝とっても助からないと言うことになる訳です。けれども大体の人はです、眠っておる時は安楽の状態である。助かっておる姿であると思う。そこで私共が信心させて頂いて、天地の道理が分かりご恩徳が分り、生かされて生きておる事実を、本当にこの身をもって感じさせて頂き、目が覚めたということの有難さが分るようになり。今日の御用に楽しみを覚えさせて貰えれる、いわば躍動する心をもって一日の御用に携わらせて頂く。そこに信心させて頂く者の助かった姿がある。
 それをもっと深刻に、助かったという姿と言うのは、、死んだ状態にある時眠った状態にある時。なるほど学があっても無かっても、信心させて頂くと言う事によって、そういうおかげが頂かれる事が分かります。お互いの信心を見ておるとね、その辺のところが、どうも中途半端になっておるという気がする。信心大体道理が分っとるから目が覚めたという事は、有難い事は分かっとるばってん有難くない。
 目が覚めたという事は本当に、今日もお生かしのおかげを頂いておるという印だから、有難いという事は分かっとるばってん有難くなか。そこにお互いの中途半端な信心である事を先ず分らせて貰って所謂、眠っている時が助かっておる時なら、目が覚めた時にです、自分が助かっておるなという喜びが感じられる。御用の中に喜びが感じられる。そういう人の姿を私は本当の意味で助かっている人の姿であるという風に思う。
 学問があっても、難儀をしている者がある。財産があっても難儀をしておる者がある。同じ事だと思う。だから学問があるから器量が良いから、財産があるから助かっておるという事ではないことを知らなければいけません。それをあくせくとして財産を作る事に血道を上げて、さあその財産のために苦しんでおると言った様な、愚を見ないように。幸せの条件、絶対それは必要なのです。
 お金も必要健康も必要、立派な家に住むことも、又いわば山海の珍味を頂かせて頂ける程しのおかげを頂く事はです。これは幸福のいわば条件ではありますけれども、それが、幸福であるという事ではない。助かっておる事ではない。私共は一つ本当に助からなければならない。この九十九節はそういう事を教えておられると思う。言わば誰でも助かる事が出来るんだぞと。然も誰でも人を助ける事が出来るのぞと言う事。
 そういう助かりの道を金光大神は教えて下さってある。だからその金光大神の御教えに徹するという事なのである。その御教えに忠実になるという事。信心を頂いておっても徹しない。教えに忠実でない。それではねいつまで経っても、本当の助かりはない。寝ておる時だけが助かっておるのであって、目が覚めたらもう苦しいと言う事で、終わってしまう様な事ではつまらない。
 此方は無学でもみなおかげを受けておると仰ってる。これは金光大神ご一人だけではない。久留米の初代なら久留米の初代でも、または福岡の初代にしてもです。ご自分でも無学と言うておられるが、本当に学問があった訳でもなけりゃ、特別の器量人であったと言う訳でもなさそうである。けれども此方は無学でも、おかげを受けておるというおかげを、金光大神が受けられた、その教えに如何に福岡の初代や、久留米の初代の石橋先生が、忠実であったかという事を知らなければいけんと思う。
 そこに此方は無学でもおかげを受けておるという、おかげを受けておられる。これは私の事を言うても同じ事が言えると思う。何も出来ない本当に無学に等しい頭も悪い。良かとこは一つもないけれどもです。おかげを頂いて此方は無学でもおかげを受けておる。いわゆる、私自身が助かっておる。だからそこに人を助けることも出来る事になって来た。またその中に、自分の助かっておる姿を、日々感ずる生活が出来ておる。
 いよいよ今日は報徳大祭が十時半から執り行われる。親先生が祭主をして下さいます。どういうお祭りを仕えさせて頂くか分からんけれども、お祭りを仕えて良い、もう何時でも仕えられるだけの準備は、この様に出来た。それでいうなら賑々しゅう厳かなお祭りが仕えられる事と思う。報徳祭だからこういうお祭りをして差し上げて、その徳に報いるという様な考え方ではいけないと思う。
 どういう賑々しいお祭りをしたから、それでお徳に応えた、先生方の御信心に、金光様の御信心にお応えしたと言うことではない。こういう事が出来るようになったという事が有難いのである。ですからいうならば日々の生活の中にです、三代様または四神様に、または先覚の先生方にです。先生方の信心を受けに受け継がせて頂いて、その事に一生懸命にならせて頂きましたら、私がこの様に助からせて貰い、この様に人々が助かるようになりましたと。
 または、只今、申しますように、眠っておるだけが安楽ではなくてです。一日中が有難い勿体無いの生活が出来るようになったと言うことの事実がね、私は、神様に喜んでいただく事だとこう思う。徳に報いると言うことは、それが、私は報いる事だとこう思う。その喜びの一つの溢れるようなものがね、余波が、例えば今月のお祭りになって現れてくるんだ。ああこんな大きな賑やかなお祭りが出来て、神様もさぞかしお喜びであろうと、成る程喜ばれん事はなかろうと思うです。
 けれどもそのお祭りが出来れる日々、そこに真がかけられる、いわば真の人になって行っておる姿が神様に報いるのである。また神様はそれをお受け下さりそれを喜んで下さるんだとこう思う。日常生活が如何に信心生活が出来ておるかと言う事をです、見て貰いまたは聞いて頂かせて貰うという事がね、今日の報徳祭の本当の意味なんです。それがいうならばこの様な、今日奉仕され賑やかに、または厳かに奉仕される事であろうお祭りが、その形をただ少し現わしただけに過ぎない。
 だから是からのいうならば信心生活。信心生活とはどう言う事かと言うと私共が本当に助かっておる者の姿と言うものがです、生活の上に現れてくると言う事。その言が愈々そこに掛けられた信心を進めて行かなければならんと思うですね。今日は私九十九節の中から、是は道の取次者に対して下さった御理解と思われます。けれども是を取次者だけではない、信奉者の全部が頂かせて貰うという意味でお話を聞いて頂いた。
 ですから無学の者でも、学問があっても、助かる事が出来るんだ、また助ける事が出来るんだと言う。これは取次者だけのことではない、私共の一人一人がそういう一つ助かりを、人が助かるほどしの助かりをです頂いて行きたい。そういう道を金光大神は教えておられる。だからそこに本気で取り組んでです、忠実に教えのいわば行者としてのおかげを頂きたいものでありますね。
   どうぞ。